デンマークの原発から学ぶデンマークの思考法

デンマークで原子力発電の反対運動についてお話をうかがいました

増田です、

デンマークのコペンハーゲンの中央駅に向かっている電車で
チケットを買う前に書いています。

今回、デンマークからドイツへ向かうのに、
港からフェリーで向かうルートがあると聞いて
試してみようと思いました。

この途中、何と電車ごとフェリーに乗るということで、
ぜひ体験してみたいと思ったんです。

非常に景観も素晴らしいそうなので
楽しみです。

電車ごとフェリーに乗るという発想が、
いかにもヨーロッパらしいですね。

なお、ドイツからはフィンランドのヘルシンキに飛び、
そこから日本に帰国する。
そんなルートを取りたいと考えています。

帰国後はロサンゼルスへ向かう予定があるので
ゆっくりとヨーロッパを回れないのが残念ですが、
少しでもヨーロッパを見て回れたらと思います。

前置きが長くなってしまいましたが、
今回はデンマークを視察している中で
「1人1人の意見を尊重する」
という考え方に衝撃を受けたため、
シェアしたいと思いました。

原子力発電の導入を国民1人1人が決めたデンマーク

「1人1人の意見を尊重する」という言葉に、
ピンと来ない人が多いと思います。

ですので、その意味をこれから順を追って
説明したいと思います。

デンマークでは、1970年ごろに原子力発電の
導入を検討した時期があったそうです。

しかし、民間団体の反対運動があったために導入を
数十年にわたって検討し続け、その結果デンマークでは
過去から現在に至るまで原子力発電を行っていません。

そのため、現在デンマークは、太陽光や風力など、
再生化エネルギーで発電を行っています。

日本のように原子力や火力での発電にいっさい
頼っていないわけです。

ここで僕が言いたいのは、原子力発電がいいか悪いか
ということではありません。

僕が衝撃を受けたのは、政府が発案した原子力発電の導入を、
民間団体が国民1人1人に是非を問うことにより見合わせることに
なったという事実です。

実際、民間団体による反対運動の影響で実際に原子力発電が
採用されないケースは、世界的に非常に稀だと言われています。

ここまでの内容だと、
「民間団体の反対運動と『1人1人の意見を尊重する』ことが
どう関係あるの?」
と不思議に感じるかもしれません。

そこで、デンマークの原子力発電の経緯を説明したいと思います。

原子力発電の反対運動を行う民間団体「OOA(オー・オー・エー)」

僕が昨日お話をうかがったのは、
デンマークで原子力発電の反対運動を行っている
OOA(オー・オー・エー)という民間の機関です。

この機関は、1970年ごろに環境団体とタッグを
組んで設立されました。

このころデンマークの政府内で原子力発電を活用する
動きがみられ、それを受けて設立されたというわけです。

OOAが行ったのは「問題提起」

ここまでOOAは「反対運動」を行ったと説明してきました。

反対運動というとデモだったり政府に報告書のようなものを
提出したりといったイメージを持つかもしれませんが、
実際に行ったのは「国民1人1人への情報のシェア」だったんです。

だから、OOAとしての原子力発電に賛成か反対かという
結論は持っていませんでした。

また、権力やエゴでOOAが結論を持たないよう、
あえてリーダーがいない団体という形をとったそうです。

まず始めに、OOAは政府に対して、
「原子力発電について検証するため、3年間の猶予をください」
と申し入れました。

この3年という期間は結果的に何十年も延長されたそうですが、
OOAは環境団体とタッグを組んだとは言え、原子力発電の
知識や経験がほぼゼロの状態からスタートしました。

そのゼロの状態から研究機関などから学び、原子力発電の
メリットやデメリット、そして原子力発電に代わる可能性の
ある発電方法について研究や検証を重ね、その結果を
国民1人1人にシェアしていったんです。

その中で、OOAは国民1人1人に対して、
政府が掲げる原子力発電への転換について
問題提起しました。

当時はインターネットも普及していなかったので、
フリーペーパーや学校へ冊子を配布といった
アナログな方法で情報提供を行ったそうです。

キーワードは「対話」

僕はOOAの活動内容を聞いて、
デンマーク「らしい」な、と感じました。

デンマーク「らしい」というのは、
国民1人1人の物事に対する考え方、
思想や哲学や大きくちがうことが
前提になっていることです。

今回の視察でいろいろな施設などでお話を
うかがっていて、デンマークではそういった
「多様性」を認めることが当然なんだと
感じています。

OOAの視察だけでなくデンマークの方に
直接お話をうかがったときに必ず出てくる
キーワードが、

「対話」=とことん膝を突きつけて話し合いましょう

です。

OOAも、政府と国民とが「対話」を行うために
必要な知識や情報をシェアしたということですね。

ちなみに、デンマーク政府が原子力発電の導入を
検討した段階でも、知識や情報を持っていたのは
ごく一部の政府関係者だけだったそうです。

「自分ごと」として捉えないと対話は成立しない

OOAは、政府と国民が「対話」をするための
基盤として情報提供を行いました。

でも、そのためには情報だけでなく、
国民1人1人が原子力発電について
「自分ごと」として捉えなければ成り立ちません。

先ほども書いたとおり、デンマークでは思想や哲学などの
多様性を認めることが前提となっています。

そのためにも、
「自分が何をしたいのか?」
「何をしなければならないのか?」
といったことが大切にされています。

お互いが「自分」を持っていないと、
多様性を受け入れることはできないから。

そのため、デンマークでは子供の頃から教育の中でも
「自分がどうしたいのか?」それが問われ続けます。

「なんでもいい」とか「任せる」というのは許されません。

デンマークの教育については、別の機会に
くわしく紹介できたらと思っています。

このように、デンマークは国民1人1人が
「自分ごと」として捉える前提があるからこそ、
政府との対話が成立するわけです。

国の政策にも国民1人1人の意見が尊重される

ここまでデンマークの原子力発電の計画から
取りやめるまでの経緯を説明しました。

今回OOAという機関の視察で得た大きな学びは、
デンマークでは国の政策ですら国民1人1人の
意見が尊重されるという点です。

もしも日本をはじめ、デンマーク以外の国で
原子力発電に反対するとすれば、
民間団体が一方的に「原子力発電はダメだ!」と
主張するのが一般的だと思います。

OOAは団体として原子力発電に反対するのではなく、
国民1人1人の意見を尊重するために
正しい情報提供を続け、またデンマーク政府も
国民1人1人の意見を尊重した結果、
原子力発電の計画を取りやめたことが印象的でした。

このようにリーダー1人が原子力発電を行うか行わないかを
決めるわけではなく、
また多数決で決めるわけでもないプロセスは、
僕がこれまで経験したことがないので衝撃がありました。

確かに、リーダー1人や多数決で物事を決めると、
意見が通らなかった人は自信をなくしてしまって
その後の主張ができなくなってしまうという
危険性もあります。

今回使った「対話」や「多様性」といった言葉の
意味が、もしかしたらピンと来ないかもしれません。

でも、これからのデンマークで学んだ内容を
シェアしていく中で、上手く伝えられるように
シェアしたいと思っています。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

増田裕一